アフリカとの出会い34 アフリカの日々3 「アフリカの子どもの日」 竹田悦子 アフリカンコネクション |
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私の住んでいる相模原市には相模川という川が流れている。毎年5月が近づくと「こどもの日」を祝う沢山の鯉のぼりが吊るされる。風を一杯にはらんで大きく揺れて泳ぐ姿に「子ども達の健やかな成長」の姿を重ねて祝う。しかし、「こどもの日」は、私が忘れてはいけない子ども達が世界中にまだ沢山いることを思い出させてくれる日でもある。 日本では、5月5日を「こどもの日」として祝うが、世界全体では、国連が定めた「世界子どもの日」が11月20日にあり、アフリカにはOAU(アフリカ統一機構)が定めた「アフリカの子どもの日」が6月16日にある。 1976年、南アフリカ共和国のソウェト地区で起こった暴動で子ども達が巻き込まれ多数が死亡したことによりOAUがアフリカの子供の命と人権を守るべく定めたのが、「アフリカの子どもの日」である。 その日から既に33年たった今、アフリカの子供たちの命や人権はきちんと守られているのだろうか?すべてのアフリカの国々の子供たちの様子を把握することはもちろん出来ないが、21世紀になった現在もなお、私が知るケニアの子供たちを例にしてみれば、子どもが子どもらしく、安心して生活できるような衣食住に恵まれている子供の数は本当に少ない。日本の子ども達のように祝福され、安心と幸運を生まれながらに与えられている子どもの数も少ない。今でも世界から取り残されたままのような子供たちの環境を思い出す。戦争・病気・貧困はストレートに子供たちに圧しかかり、犠牲を強いていると思う。 ケニアで私が目撃した子ども達の姿を思い出してみる。 ・子どもが朝から晩まで学校には行かずに働いている。 ・子どもが親が学費を払えなくなったため、荷物をまとめて寮を出される。 ・子どもが道を歩く外国人の私にお金をせがんで来るよう頼まれている。 ・子どもの居場所がなく、町の通りで眠ったり、仲間とシ ンナーを吸ったり、遊んでいたりする。 ・子どもが自分より小さな子供を背負って家事をしている。 ・子どもが学校の教室に数本しかない鉛筆を奪い合う。 ・子どもが鞄の代わり使っているビニールの袋が今にも破れそう。 ・子どもが大きなノートを買ってきて教科別に小さく切って使っている。 ・子どもが数日間にわたり食べ物を口にしてない。 ・子どもが制服や文房具を用意できなくて学校へ行けない。 ・子どもが数日かけて親と歩いてきた病院で、医療代が払えなくて困っている。 ・子どもがHIVの陽性である。 ・子どもが死んでしまった親が、棺を買えずしばらく埋葬できないでいる。 ・子どものあまりにも小さな棺を見送る。 このような子どもの姿が当たり前になってしまっている状況に私の胸は痛む。何故なのだ?子どもたちが生まれた場所や時代を間違ったからなのだろうか?罪のない子ども達がこのような状況に置かたままでよいのだろうか? 私はこのような子どもの姿をケニアではいつも眼にしていた。親が居ない、親に仕事がない、理由はさまざまであるだろう。しかし、子供達は生きている。もちろん、死んでしまうこともある。命の重たさは世界中で同じであるはずなのに、子ども達はあっけなく死んでいく。WFP(国連食料計画)は、アフリカでは6秒に子供1人が、飢えやその他の原因で死亡していると報告している。 そんな1人1人の子供の人生を変えていくのは、いうまでもなくアフリカ自身の努力も不可欠であるが、自分たちの富をほんの少しだけ彼らと共有のものと考える人が増えてゆけば彼らを助けることができるし、変えられることもあるはずだ。日本人には信じられないかも知れないがほんの僅かな金銭がないために、人は十分な食も得られず死に至ることもある、という事実が多くの途上国と呼ばれる国々では日常茶飯になっている。それは本当にほんの僅かな金銭があれば救われるのだ。 子供達の声はいつまでもいつまでも私の耳から離れることはなく、なにか出来ることの糸口をいつも探してしまうのである。そしていつか日本の「こどもの日」のように、世界中の全ての子どもたちが明日を心配することなく、健康で、その健やかなる成長を祝ってもらえる日が来ることを切望している。 アフリカとの出会い目次へ トップへ |